「激レアさんを連れてきた」に「15年間たった一人&メモなしで研究し70万本売れるシミ抜き剤を作っちゃった人」として出演が決まったフミさん。
発売した染み抜きは70万本という大ヒット商品となっています。
今回は「15年間たった一人&メモなしで研究し70万本売れるシミ抜き剤を作っちゃった人」ことフミさんのプロフィールや経歴について調査してみました。
70万本売れるシミ抜き剤を作ったフミさんの気になる本名、年齢、出身地、家族構成、仕事、開発したシミ抜き剤の詳細に関してwiki風にまとめてみましたのでご覧下さい。
【激レアさん】フミのwikiプロフィール経歴
【激レアさん】フミのwikiプロフィール経歴 ①本名
「激レアさんを連れてきた」に「15年間たった一人&メモなしで研究し70万本売れるシミ抜き剤を作っちゃった人」として出演が決まったアサカワフミさんの本名についてご紹介いたします。
アサカワフミさんの本名は浅川ふみです。
メディアなどから取材された際に、記事に名前が記載されています。
【激レアさん】アサカワフミのwikiプロフィール経歴 ②年齢
「激レアさんを連れてきた」に「15年間たった一人&メモなしで研究し70万本売れるシミ抜き剤を作っちゃった人」として出演が決まった浅川ふみさんの年齢についてご紹介いたします。
浅川ふみさんは2024年時点2月19日時点で47歳です。
2024年2月19日に公開されたツギノジダイ内の記事において、47歳という記載があります。
2024年2月19日時点で47歳なので、生まれた年は1977年か1976年であるとわかります。
誕生日が2月19日以前であれば1977年生まれ、2月20日以降であれば1976年生まれですね。
【激レアさん】アサカワフミのwikiプロフィール経歴 ③出身地
「激レアさんを連れてきた」に「15年間たった一人&メモなしで研究し70万本売れるシミ抜き剤を作っちゃった人」として出演が決まった浅川ふみさんの出身地についてご紹介いたします。
浅川ふみさんは東京都品川区出身です。
浅川ふみさんの幼少期から家族が家業を行っている日米クリーニングは東京都品川区のお店です。
なので東京都品川区出身ではないでしょうか。
【激レアさん】アサカワフミのwikiプロフィール経歴 ④仕事
「激レアさんを連れてきた」に「15年間たった一人&メモなしで研究し70万本売れるシミ抜き剤を作っちゃった人」として出演が決まった浅川ふみさんの仕事についてご紹介いたします。
浅川ふみさんは衣料洗剤の製造販売やクリーニングを手掛ける会社、株式会社ハッシュの代表をしています。
社員8人、売り上げは5千万円規模の会社です。
東京・大井町で50年以上続くクリーニング店の3代目でもあります。
シミ抜きに失敗して顧客から怒られたのをきっかけに7年にわたって技術研究を重ね、酵素の力でシミを分解するオリジナルの洗濯洗剤「スポッとる」を開発しました。
2023年8月には新商品ルーシーミストを開発。
家業を守りながら新しいビジネスを立ち上げ、取り組んでいます。
アサカワフミの仕事 ①家業のクリーニング店経営
「15年間たった一人&メモなしで研究し70万本売れるシミ抜き剤を作っちゃった人」浅川ふみさんの仕事、経営に携わる家業のクリーニング店についてご紹介いたします。
浅川ふみさんは家業のクリーニング店「日米クリーニング」を経営しています。
日米クリーニングは現在、母を中心に運営しています。
家庭で洗える衣装が増えてクリーニング店の利用客は減少傾向となり、コロナ禍や原料高も追い打ちとなり今は一店舗のみの家族経営となっています。
未来のクリーニング店は、家庭やコインランドリーでできない特殊なクリーニングを担う専門店になっていくでしょう。その中で、環境負荷を減らしつつ、高い技術力を持つ店舗が生き残っていくはずです
日刊ゲンダイより引用
浅川ふみさんは小さい頃から店を継ぐことを決めており、小学生になるとクリーニング後の服を畳んだり袋に入れたりして13歳頃から店番を務め、高校卒業から20歳の若さで家業への従事を開始。
しかし女性ということもあってか父親からは技術習得を許されず、集配の仕事を担当することに。
「今思えば、それが転機でした。お客さまと直接やりとりする中で、生の声を聞くことができたんです」
日刊ゲンダイより引用
集配の仕事に回されたことがマイナスの影響ばかりだったとは思っていないようですね。
当初曜日ごとに集配ルートが決まっていたものの、ピザ店のデリバリーをヒントに顧客が出したい衣類がある時は電話をもらったらいつでも対応できる集配スタイルに変えました。
そんな生活の中から「スポッとる」が誕生します。
次の項目で詳しくご紹介いたしますね。
アサカワフミの仕事 ②ハッシュとスポッとるについて
「15年間たった一人&メモなしで研究し70万本売れるシミ抜き剤を作っちゃった人」浅川ふみさんの仕事、経営する株式会社ハッシュとその販売する製品、スポッとるについてご紹介いたします。
株式会社ハッシュは浅川ふみさんが設立した会社で、スポッとるは開発した洗剤の名前です。
浅川ふみさんはスポッとる開発を機にハッシュを設立しました。
そのエピソードに関して詳しくご紹介していきますね。
アサカワフミのハッシュ設立とスポッとる開発の経緯 ①スポッとる開発とハッシュ設立
株式会社ハッシュ代表浅川ふみさんの株式会社ハッシュ設立とスポッとる開発の経緯のうち、スポッとる開発とハッシュ設立の経緯についてご紹介いたします。
浅川ふみさんがスポッとるの開発までの経緯は、家業を行う日常の中からスタートします。
ある日顧客からしみ抜きの依頼をされ服を預かりましたが、当時の店のやり方ではシミを落とせずシミが残ったままで返すことになり、「シミが落ちなかったら出さなかったのに」と言われます。
クレームにつながるリスクの高い難易度の高いしみ抜きはやらない方針だったため、浅川ふみさんがこっそりシミ抜きを行ったところ服の一部が脱色しさらなるクレームに。
シミ抜きの作業も技術の習得も禁じられた浅川ふみさんはこれをきっかけに祖父を頼りシミ抜きの技術を磨き家に伝わる秘伝のシミ抜き剤を改良。
羽田空港の店に集配に行くたび、祖父に教わりながら毎日1~2時間近くをシミ抜きの研究に費やしました。
国家資格のクリーニング師免許を取得し、薬品についてある程度は勉強していましたが特別に科学の知識があったわけではなく、実務での気づきをひたすら研究に取り入れました。
食べたものは消化するけど胃や骨は溶けない胃酸のような成分でシミ抜き出来ないかな・・と考え酵素を使ったシミ抜き方法を試すように。
研究から8年たったころにはよく落ちる液体と方法が確立されました。
その洗濯技術で後に特許も取得。
父に隠れてシミ抜きをしていたものの、そのシミ抜きの技術は評判になり遠方からも依頼が来るように。
通常のクリーニングより単価の高いシミ抜きの依頼が1日30点ほど来るようになり店の売り上げがアップ。
シミ抜きに反対していたお父様も頑張りを認めてくれました。
そしてお客様の声から洗剤のニーズに気付き、オリジナルのシミ抜き洗剤の一般販売に乗り出すことになります。
ブランド名は「スポッとる」としました。
「スポッとる」の開発を機に2008年に株式会社ハッシュを設立。
名前の由来は「スポッとる」の原材料が8種類(はっしゅるい)だからだそうです。
アサカワフミのハッシュ設立とスポッとる開発までの経緯 ②販路開拓
株式会社ハッシュ代表浅川ふみさんの株式会社ハッシュ設立とスポッとる開発の経緯のうち、スポッとる販路開拓のエピソードについてご紹介いたします。
スポッとるを開発し、販路開拓に乗り出した浅川ふみさん。
いざ販売しようと大手小売店に営業しても類似品がたくさんあるからと門前払いをされることに。
そこで浅川ふみさんは当時盛り上がってきたネット販売に目を付けECサイトやチラシを自作。
最初は全く売れませんでしたが発売1カ月ほどで2個ほど売れました。
浅川さんは「今思うと、あんなめちゃくちゃなページでよく売れたなと思います」と笑いますが、つたなくてもアイデアを形にしたことで、好循環が生まれました。
ツギノジダイより
やがて週1個のペースで売れるようになり10年にはヤフーショッピングに出店、大手雑貨販売店の担当者から店頭での実演販売を打診されました。
最初に売れたのは1日1個のみでしたが担当者に励まされ、2~3カ月に1度のペースで実演販売。
他の出展者から「ビフォーアフターのサンプルを用意するといい」等とアドバイスをもらい、2年後には1日200個を売り上げるまでになりました。
アサカワフミのハッシュ設立とスポッとる開発までの経緯 ③楽天市場での成功と失敗
株式会社ハッシュ代表浅川ふみさんの株式会社ハッシュ設立とスポッとる開発の経緯のうち、楽天市場出店の際の成功と失敗のエピソードについてご紹介いたします。
2012年には楽天市場に出店。
楽天の広告担当者からメールマガジンを薦められ予算的に無理と断り続けるも強く勧められたため挑戦することに。
70万円を売り上げました。
「スポッとる」はメール便で送れる大きさで、20mlで1600円という手ごろな価格であることがネットショッピング成功の要因だったようです。
2013年秋にはバナー広告のタイミングがプロ野球チーム楽天イーグルスの優勝記念セールと重なり、30分で3000個を売り上げました。
しかし容器が不良品だったことによる液漏れが発覚し全品回収の事態に。
容器メーカーの担当者が謝罪した時には手遅れで、クレームの電話が止まらなかったそうです。
それ以降浅川さんは容器の自社検品を徹底することになりました。
洗剤を入れた状態で1日以上置き、液漏れがないか確認したうえで発送するようにしています。
販売チャネルの拡大とともに10ml(900円)から150ml(9000円)まで在庫最小管理単位をそろえてニーズにこたえるように。
一般向けの一番大きいサイズからお試し用、持ち運び用といろいろな用途向けのものが売られています。
もっと素早く汚れが落ちる洗剤の需要はあるものの、即効性を求めるとより強い薬品が必要で生地を傷めるリスクもあるため、対応していないようです。
アサカワフミの仕事 ③ルーシーミストについて
「15年間たった一人&メモなしで研究し70万本売れるシミ抜き剤を作っちゃった人」浅川ふみさんの仕事、経営している株式会社ハッシュの製品ルーシーミストについてご紹介いたします。
2023年8月、クリーニング店にバレエの衣装が持ち込まれたことがきっかけで新商品のルーシーミストを開発します。
洗濯機を使うと傷める危険があるデリケートな素材のため、洗剤をスプレーして洗い流したことからスプレータイプの洗剤を思いつきました。
コロナ禍でのオンライン会議の画面もヒントに。
滞在先のホテルから参加した人の背景に干した洗濯物があったことから出張中の洗濯が大変であるという課題を発見、手軽な旅行用洗剤というコンセプトが浮かびます。
試作品では室内干しを想定し、生乾きの臭いを防ぐ天然精油をブレンド。
女性スタッフの意見を取り入れ薄型で持ち運びしやすいコンパクトなハンガーを付けました。
クリーニング屋ならではの視点でたどり着いた「洗濯の新しいライフスタイルを提案できる商品」ルーシーミストは、構想から完成まで2年半をかけて販売をスタートしました。
夏の旅行シーズンの便利なアイテムとしてメディアで取り上げられたこともあり、販売開始直後から売り上げが伸びました。
アサカワフミの仕事 ④新洗剤の開発
「15年間たった一人&メモなしで研究し70万本売れるシミ抜き剤を作っちゃった人」浅川ふみさんの仕事、新洗剤の開発事業についてご紹介いたします。
ドライクリーニングは石油系の溶剤を使って汚れを落としますが、浅川さんは現在環境負荷の低い天然素材の開発をしています。
東京都の支援を受けながら、バイオエタノールを使用したクリーニング技術の確立を目指しています。
千葉県富津市には約1300平方メートルの畑を作り、ソープナッツと呼ばれる無患子(ムクロジ)を木から育て始めています。
オフィスの外のスペースでもプランターで育てているようです。
【激レアさん】アサカワフミのwikiプロフィール経歴 ④家族
「激レアさんを連れてきた」に「15年間たった一人&メモなしで研究し70万本売れるシミ抜き剤を作っちゃった人」として出演が決まった浅川ふみさんの家族についてご紹介いたします。
浅川ふみさんのご家族は姉・父・母・祖父の4人の存在が確認されています。
4名ともクリーニング店の家業に従事されてきた方たちです。
アサカワフミの家族 ①姉
「激レアさんを連れてきた」に「15年間たった一人&メモなしで研究し70万本売れるシミ抜き剤を作っちゃった人」として出演が決まった浅川ふみさんのお姉様についてご紹介いたします。
浅川ふみさんのお姉様は、ハッシュにて広報を担当しています。
身内が広報を担当することで、情報の一貫性が保たれ、長期的な戦略が立てやすくなったそうです。
浅川ふみさんが営業、お姉さまが広報と役割分担をしているようです。
アサカワフミの家族 ②父
「激レアさんを連れてきた」に「15年間たった一人&メモなしで研究し70万本売れるシミ抜き剤を作っちゃった人」として出演が決まった浅川ふみさんのお父様についてご紹介いたします。
浅川ふみさんのお父様は、日米クリーニングでクリーニングの仕事に従事してきました。
浅川ふみさんが家業を継いだころは熟練の技が必要なシミ抜きを行っていたのは父でした。
「父のことは技術者として尊敬していましたが、もっと顧客のニーズに寄り添うべきではないかと意見が食いちがうこともありました」
ツギノジダイより引用
シミ抜きなどの技術を身に着けることを許してくれないなど親との摩擦はあったようですが、浅川ふみさんが家業を継ぎたいという気持ちをなくすようなものではなかったようです。
アサカワフミの家族 ③母
「激レアさんを連れてきた」に「15年間たった一人&メモなしで研究し70万本売れるシミ抜き剤を作っちゃった人」として出演が決まった浅川ふみさんのお母様についてご紹介いたします。
浅川ふみさんのお母様は日米クリーニングでお父様と家業に従事し、現在も日米クリーニングで運営の中心を担っています。
経営は浅川ふみさんが行っているものの、お母様を頼りにしている部分も結構あるのかもしれません。
アサカワフミの家族 ④祖父
「激レアさんを連れてきた」に「15年間たった一人&メモなしで研究し70万本売れるシミ抜き剤を作っちゃった人」として出演が決まった浅川ふみさんのおじい様についてご紹介いたします。
浅川ふみさんの祖父は、1968年に浅川ふみさんの曾祖父が米国で目を付けたクリーニング業を薦められてクリーニング店を設立しました。
店名は曾祖父の映画会社「日米映画」から「日米クリーニング」となりました。
祖父もまた、父と同じで熟練の技術を持っていたようです。
浅川ふみさんはしみ抜きの仕事で失敗し父にシミ抜きの仕事と技術習得を禁止されたとき、祖父に頼って技術を習得しました。
ヒット商品の隠れた生みの親と言ってもいい存在のようです。
アサカワフミが激レアさんを連れてきたに出演
この度「70万本売れたシミ抜き」を作った浅川ふみさんが「激レアさんを連れてきた」に出演することになりました。
浅川ふみさんが開発しECサイトが盛り上がり始めたころ販売をスタートし、ヒット商品になった「スポッとる」
番組内ではその使い方だけでなく、シミ抜きの技術など詳しい説明があるかもしれません。
生活のお役立ち情報に期待してもいいのではないでしょうか。
【激レアさん】アサカワフミのwikiプロフィール経歴まとめ
ここまで「激レアさんを連れてきた」に「15年間たった一人&メモなしで研究し70万本売れるシミ抜き剤を作っちゃった人」として出演が決まった浅川ふみさんについて紹介してきました。
「15年間たった一人&メモなしで研究し70万本売れるシミ抜き剤を作っちゃった人」として出演が決まった浅川ふみさんのプロフィールや経歴についてwiki風に一覧にまとめたものがこちらになります。
いかがでしたか?
幼い頃から家業を継ぐことを決め、家族の反対にも負けず専門技術を習得し続けついにヒット商品を開発するに至った浅川ふみさん。
2023年には新商品を開発し、今も現在進行形で新商品の開発を続けています。
視聴者としては生活のお役立ち情報も期待しつつ、販売されている製品に頼ってみてはいかがでしょうか?
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
【この記事を書いた人】
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