西田敏行さんが2024年10月17日に自宅で亡くなっていたと報道がありました。
享年76歳でありました。
ご冥福をお祈り申し上げます
私の中では西田敏行さんと言えば「釣りバカ日誌」のハマちゃんをはじめとしたドラマの数々での名演が脳裏に残ります。
数多くの方に慕われ親しみを持たれていた西田敏行さん。
そこでここでは西田敏行さんを偲んでちょっとした思い出のエピソードについてご紹介したいと思います。
西田敏行さんと歌手の松崎しげるさんが若い頃からの大親友であったことをご存じでしたでしょうか?
2人の出会いや関係性。
そして二人の運命を変えたとも言われる即興曲の思い出についても紹介いたしますのでご覧ください。
西田敏行と松崎しげるは若い頃からの大親友
ではここからは西田敏行さんと歌手松崎しげるさんの二人が若い頃からの大親友だったことを紹介いたします。
お二人がインタビューや各番組で語っていたエピソードについてまとめてみましたのでご覧ください。
西田敏行と松崎しげるは若い頃からの大親友 ①二人の出会いについて
西田敏行さんと松崎しげるさんの二人の出会いについてご紹介いたします。
二人の出会いはまだ二人が売れる前であった1970年代の頃であったということです。
(当時西田敏行26歳、松崎しげる24歳)
2人の共通の友人である俳優「柴敏夫」さんを介しての出会いだったそうです。
その当時柴さんの家に居候をしていた松崎しげるさん。
柴さんの主演を務めていたドラマ「新・坊ちゃん」に数学教師山嵐(堀田吾一、数学主任)役で出演していた西田敏行さんを見たことがきっかけでした。
とてもいい演技をしていた西田敏行さんに惹かれて柴敏夫さんにどんな人なのかと聞いた松崎しげるさん。
それを聞いて当時松崎しげるさんが歌っていた店に連れて行くと引き合わせたことが二人の出会いでした。
それ以来松崎しげるさんが歌っていたお店に通い続けたという西田敏行さんと松崎しげるさん。
大物俳優や歌手の愚痴を二人で言い合うなどまさに親友の関係となっていったのだそうです。
では二人の関係性がよくわかるエピソードについていくつかまとめましたのでご覧ください。
西田敏行と松崎しげるは若い頃からの大親友 ②二人の思い出のエピソード
では次に西田敏行さんと松崎しげるさんの二人のエピソードについてご紹介いたします。
こちら二つのエピソードについてまとめましたのでご覧ください。
西田敏行と松崎しげるの二人の思い出のエピソード ①運命を変えた即興曲
まず最初に紹介する西田敏行さんと松崎しげるさんの二人の思い出エピソードですが。
まだ売れない頃に出会った二人であることは前述しましたが
二人が売れ出すようになったのも二人で行ったこあることがきっかけでした。
若い頃に出会った二人は知り合いや先輩の経営する飲食店で飲み歩いておりました。
まだ売れていない二人でしたからお金がなく毎晩飲み歩くということもなかなかできなかった時代。
そんな二人の助けとなっていたのが飲食店のお客さんのリクエストに応えて無料で飲み食いをさせてもらえるということでした。
歌手である松崎しげるさん
またもしもピアノが弾けたならなど俳優だけでなく歌手としてもセンスのあった西田敏行さんの二人がお客さんの出す3つのお題に沿って即興で曲を作るという
まるで落語のようなそんなパフォーマンスは評判となり。
ある日TBSのスタッフが二人を訪ねて、二人に司会をやってみないかと打診。
そこで生まれた番組が1975年に放送されたハッスル銀座であります。
この番組では視聴者からのリクエストはがきのエピソードを元に即興で曲を作るという
まさに二人がやってきたことが大人気コーナーとなっておりました。
この番組出演がきっかけで西田敏行さんと松崎しげるさんはそれぞれ俳優と歌手としてブレイクしていくのでした。
西田敏行と松崎しげるの二人の思い出のエピソード ②悩む松崎しげるにかけた西田敏行の言葉
このように芸能界でブレイクした二人でしたが
ある日歌手である松崎しげるさんに映画「その後の仁義なき戦い」へのオファーが来たそうです。
そこで出演するべきかどうか悩んでいた西田敏行さんが松崎しげるさんにこのようにアドバイスしたそうです。
この言葉がきっかけで映画に出演した松崎しげるさん。
その演技を見たプロデューサーに見入られて出演したドラマが松崎しげるさんの代名詞ともいえる「トミーとマツ」であったそうです。
こうしてみると本当に二人の絆の強さや
切っても切れない関係性がよくわかるかと思います。
西田敏行と松崎しげるの若い頃からの関係性についてまとめ
ここまで2024年10月17日に亡くなったと報道のあった西田敏行さんと歌手の松崎しげるさんの二人の若い頃からの関係性についてご紹介いたしました。
一覧にまとめますとこのようになります。
このように切っても切れないまさに腐れ縁という言葉が似合う西田敏行さんと松崎しげるさんの二人。
西田敏行さん、松崎しげるさん、柴敏夫さん、田中健さん、中村正俊の5人は毎月5の付く日に集まる仲間だったそうです。
最近は会う機会も減ってしまって月に一回会うかどうかだったそうですが、そんな仲間の中心でも合った西田敏行さんがなくなったことは計り知れない衝撃だったのではないでしょうか。
数多くの方に慕われ、親しみのあった西田敏行さん。
今はただご冥福をお祈りしたいと思います。
ここまで読んでいただきましてありがとうございます。
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